目のうろこが落ちる

17日に行われた愛児園ハンナの会では、子どもの観察を妨げる「目のうろこ」についてお話をしました。モンテッソーリ教育に出会うまでは、子どもを観察するという意識など無く、人を観察という言葉の響きも、評価のようで好ましくありませんでした。しかし、自らを育てる「敏感期」に生きる子どもは、毎日変わり続けます。教室をはじめとした園生活に限っても、園児は毎日成長し、教師が提供すべき援助の内容も、変化させなければ的外れになります。自ら「育つ」子どもを支援する教育においては、子どもが主体であり、言葉のコミュニケーションが成長途上にある子どもの「現在」は、おとなの観察によって見出されるのです。

子どもの観察が益になるには、おとな自身が持つ、観察眼の傾向を調整する必要があります。一人ひとりが歴史と環境の影響を受けており、感じ方見方には固有の傾向があります。それを意識するだけで、焦点が子どもに合います。そのヒントを提供しました。

現在開催されている「神体験の道」コースでは、神様のご計画や御想いを受け止める為の訓練を、共に経験しながら学びを続けています。神様が語られないかのように思うのではなく、私たちの聞き方受け取り方の偏りに気付き、恵みによって修正していただきます。課題は、時には触れたくない自我に向かい合うことを求めます。しかし、それによって御心を知り、備えられた祝福を受け取れるように成長するのです。隣人を愛し祝福する、枯れない源泉を探り当てる訓練です。簡単ではありませんが、豊かな恵みを感謝します。

コロナ禍においても、各々に置かれた環境や固有の傾向を見詰める、良い機会となったのではないでしょうか。焦点を隣人に向けるだけではなく、焦点が合うように、あらゆる機会を用いて、育てていただける恵みの人生は、なんと豊かでしょうか。恵みに感謝!

「目から鱗のようなものが落ちて…見えるようになった」使徒9:18抜粋