中高生の祝福

知立教会に着任した頃から数年間、中高生青年が多かった時代がありました。私たちも若かったので、随分一緒に遊んだ記憶があります。と言っても、教会での賛美集会や祈り会、子ども集会の企画実施など、主に教会を用いて楽しみました。受験生も毎年いましたが、各々の進路に進んで行きました。中高青年に力を入れた背景は教会と家庭や学校・職場、日曜と平日の分離を感じたからです。大切な事こそ、イエス様の前に差し出し、信仰の友に祈ってもらうのが最善です。孤独な受験や就職、恋の悩みには辛さが伴います。

 月日は流れ、約20年ぶりに中高生が増え始めています。一人ひとりは、時間の使い方や心の切り替えが上手だなと感じます。しかし、悩みは同じです。受験や就職、友人や恋の悩みこそ、イエス様と信仰の友の祈りによって最善に導かれますが、まだ経験が少ないように感じます。これから文化を作っていく時期だと思います。

今の知立教会には、家の教会という土台があります。食事と共に大切な生活の分かち合いは、その後の牧者の祈り、牧場家族による週日の祈り、そして御言葉の約束通り、二人三人の聖徒の祈りにはイエス様が特別に応えてくださいます。

中高生は思春期のただ中にいます。反発や疑問は、社会の矛盾に対する正常な反応であり、私を始めおとなの曖昧さに我慢ならないのは当然です。反面、おとなから信頼され、一層愛される必要があります。多感ですばらしい中高生の時期にこそ、大切な課題をイエス様の前に出せる環境と交わりが、一層充実することを願います。

私は15歳から自衛官でしたので、見える反抗・聞こえる反抗が許されず、心の反抗期が50歳過ぎまで長引いてしまいました。大切な時間と経験、見識の広がりを逃したと思います。思春期の中高生をそのまま愛し、尊重し、祈りによって支えたいと願います。

「あなたの若い日に、あなたの創造者覚えよ。」伝道者12:1抜粋