人を立てる家の教会

2011年、神様の業に期待して牧場が始まりました。事実、神様はこの時代にあっても、魂の救いを現実のものとして体験させてくださいました。私たちは、主のからだなる教会が、霊的に建ち上がる様子を目の当たりにして胸が躍りました。恵みを確かめましょう。

家の教会は、人を立てて、人の人生を建て上げます。

1.人を立てる 主は、時間をかけて弟子たちを育て、魂の救いを委任されました。弟子たちは、体験し目撃した主のふるまいを見本にして、次の弟子を立てました。知立教会も、牧者に牧場の牧会が委任されると共に、牧者は予備牧者の育成を願いさらに仕えます。また、道コースと草原が用いられ、牧者の献身が生かされます。

2.人生を建てる 主は、関わりを持った人々が、新しい人生を歩めるように導きました。悔い改めと天の御国の訪れを説かれた(マタ4:17)のも、会衆を新しい人生に招くためでした。私たちも、主の弟子としての生き方こそ、時代・国・性・職・環境の違いを越えて、実現可能、かつ最善の生き方だと確信し、弟子つくりに励みます。

3.感動の泉 親は、子どもの小さな変化を見逃さないので、何歳になっても子の成長に感動し続けます。家の教会は、救われた人を主の弟子として立て、魂の救いを委任し、弟子の弟子が生まれるまで長い年月をかけて共に育ち合います。人の生き方が変えられる内なる変化こそ、家の教会の実りであり、行事やプログラム達成とは次元の異なる、深い感動を伴う喜びを生じ続けるのです。

人を立て、人生を建て上げる家の教会は、愛し愛される喜びに溢れ、新たな感動が生まれ続けます。感動の泉は、決して枯れることがありません。さあ、私たちも恵みの深みに漕ぎ出しましょう。

「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。」ルカ5:4抜粋