牧場の誉れ高き献身

牧者カンファレンスの全体講義で語られた内容で、牧場家族に切に祈っていただかなければ、牧者が実践不可能な難しい課題もありました。それは「牧場だけ開催しても、魂は救われません」です。「牧場から次の牧場までの間に、どう仕えるか」を問い、時間がある人ではなく「忙しい人が献身するから犠牲に感動する」と告げます。以前から聞いていましたが、必須の課題、或いは無理してでも実践しなければならない課題とは、受止めていませんでした。

前提として、神様の召しが「成功のため」ではなく、「忠実であるため」であることを心に刻みます。イ・スグァン師は、別の文脈で「必ずしも成功しないことを、受け入れなければならない」と語り、魂の救いを祈り願うことが、聖徒の「成功」が目的ではなく、救いへの純粋な応答であり、すべての評価は愛するイエス様が待っておられる天の御国に委ねなければならないと語ります。

奉仕と献身との違いは、双方ともに犠牲を献げますが、奉仕は生活を調整できる範囲で献げます。献身は必要に合わせ、生活を変えて犠牲を献げます。牧者は献身ですから、牧場開催を牧場家族と共に献げます。更に牧場と牧場の間に、忙しい社会人が人生観を変えて、平日に食い込む時間と心遣いをもって、VIPの渇きに応えます。しかも、必ず実を結ぶとは限らない現実を受け入れつつ、献げ続けます。イ・スグァン師とその弟子たちが、この様に実践しているのですから、救いと弟子化が継続することも納得できます。そして、夫妻は勿論、その子どもが幸せ、という重要な証が伴います。

私たちは、魂の救いの感動と、変えられた自分を経験しました。今、見返りが無いと思われる献身を献げるか、と問われています。

「良い働きを始められた方は…それを完成させてくださる。」ピリピ1:6抜粋