緊急事態宣言再発出
執事が聖書の教会に立てられたのは、使徒たちが祈りとみことばの奉仕に専念できるように、教会を秩序だった主のからだとして、特に日常の営みを整えるためだと、使徒6章から理解できます。知立の執事会も、魂の救いと弟子作りの進展を願い奉仕しています。
昨今は、物事の考え方や捉え方など決め事の前提を、審議を通して学んでいます。昨年の非常事態宣言では、礼拝を続けました。礼拝は不要不急の用事ではなく、キリスト者であることの体験的確認と、魂の養い、聖徒の交わりにおいて重要だからです。礼拝に集うことの善悪・可否ではなく、聖徒が礼拝に集う為の環境作りを考えました。来会者が互いに安全である環境作り…マスク着用、検温・消毒・記録、人数制限による人的空間の確保…などです。結果的に来会者を社会的批判から守る、実践証明にもなりました。
13日に、再び緊急事態宣言が発出されました。厚労省クラスター班関係者による「新型コロナの流行状況にもとづくイベント開催リスク」試算では、愛知県で感染者が300人/日の状況で、例えばアピタに2,300人/日(都市部大規模店全国平均値)の買い物客が訪れた場合、感染性のある人は1日で3人来店の可能性があります。買い物時に濃厚接触する可能性は、ほぼ0です。
しかし、私はマスク着用・手指消毒など基本的な対処に加え、多客時間帯の買い物や飲食を避け、週単位での感染予防(うつさない、うつされない)に一層取組みます。何のために、自発的予防を心掛けるのでしょうか。家族を守ると共に、神の家族と共に礼拝を献げ、牧場の交わりを続けたいからです。
同時に、聖徒それぞれが置かれた環境での、各々の判断と対処を尊重し、支えたいと思います。祈りと共に、暖かな言葉が互いに必要だからです。また、感染された方への支えを祈り求めます。
「互いに相手をすぐれた者として尊敬し合いなさい。」ローマ12:10抜粋