イエス様は、休ませてもう1回挑戦ではなくて、くびきを共にすることを通して、重荷の意味を私たちに教え、私たちが担えるように育てて下さり、さらに責任を果たすことを通して、私たちの自尊心、私たちの誇りを高めてくださるところまでご配慮くださるお方です。
そこでイエス様は、人々に律法というのは、神様があなた方を祝福するために与えたもの、ルールでがんじがらめにされて疲れている人たちを招いて、ご自身の温もりをもって慰め励まし、重荷としてではなく、神様が私に与えて下さった課題なんだということで、自ら喜んで守ることができるように、成就することができるように、語ってくださった場面です。
イエス様は、このくびきを喜んで受けてくださり、私たちがそのご人格を含めて実は私たちの罪のために、十字架で厳しい死を遂げられたことを通して、私たちが価値あるもの、神の子どもと呼ばれるもの、私たちがイエスキリストの赦しを信じるなら、天の御国まで続く永遠の命を自分のものとして受け入れることができることを教えています。私たちも、このお方に応答の人生を献げます。