弱さに証しされる恵み

親しき客人として家に招かれ、家族のように食事を共にします。心の深いところがじんわりと温められる、家の教会の入り口です。これだけでも、牧者と牧場家族の献身によって、VIPに真心が伝わると思います。初回は小学生の思い出を語りながら、自分を作る人生の土台に心を向けます。楽しさの中にも、一人の人として認められたような、魂の和みを感じるのではないでしょうか。続いて参加される方には、生活の分かち合いで語られる信徒の日常を通し、神の愛と慈しみを体験していただくことができます。

先日、ある牧師夫妻との交わりで、家の教会牧師の恵みを感じました。プライベートなひと時から、無意識に東海牧師牧場と同じような気持ちになり、自然に自らの弱さと欠け、辛い出来事の話題になりました。その後の、神様の導きと恵みをお話ししたかったのですが、前半が心に残ったようです。帰宅後のLINEに「初めに、先生方から弱さを正直にお話くださったので、私たちも自然に心の深いところをお話することができました」と記されていました。

牧場の祝福に必須なのが、牧者と牧場家族の証しです。私たちの足りなさや愚かさを通して表される神様の愛と慈しみこそ、現代人が求めても手にできない、価値ある恵みです。家の教会の導入期には、知立教会でも「自己開示なんでできません」という正直な言葉を聞きました。今、私たちは自己開示を越えて証しされる、神の恵みと慈しみに焦点を当てているでしょうか。それとも、自己開示はほどほどに、神の恵みだけを「言葉」で言い表そうとしているでしょうか。分ち合われる証は、新鮮な経験でしょうか。思い出でしょうか。改めて、弱さのうちに働かれれるお方を取り戻しましょう。

「わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」Ⅱコリント12:9抜粋