奥尻に行って来ました
当時も過疎地で人口は5,500人位でした。1年目の8月には島の青年たちと一緒に成人式をしていただきました。漁業以外に産業がありませんので、人口流出が続き2,500人を切ったようです。
北海道の地図の左下に、ブーツを履いた足形の渡島半島があります。土ふまずの辺りが函館市です。ひざの先にある奥尻島には、私が19.20歳の2年間、航空自衛隊の警戒管制員として勤務したレーダー基地があります。妻と一緒に一度島を訪れてみたいと願っていましたが、今年の夏休暇に42年振りに島に渡り1泊しました。
旅行で印象に残ったのは、変わらない自然と、地震の傷跡です。当時は気付きませんでしたが、深く澄んだ海の青さがとてもきれいでした。民宿でいただいた海の幸も美味しく、止まったような時間の流れに、心身が癒されました。
1993年7月に起きた北海道南西沖地震では、大津波で198名もの命が奪われました。当時の人口が約4500人なので島民の20~30人に一人の命が奪われた大災害でした。被害の大きかった島の南端にある奥尻島津波館を見学し、改めて被害の甚大さを知りました。
山頂にある自衛隊基地にもレンタカーで近付いたのですが、基地手前4kmから侵入禁止でした。部外者なので当たり前ですが、時の流れを感じました。19.20歳を過ごした島なので、大切な2年間ではありますが、旅行を通して記憶の彼方に整頓された感じです。
知立教会の一員として、皆さんと共に歩むこれからの年月にこそ価値ある一歩一歩が刻まれるはずです。もともと未来志向の性質ですが、神様が出会わせてくださった兄弟姉妹と、神様が教えてくださった真実の教会なる家の教会に、希望のすべてを掛けます!
「前のものに向って身を伸ばし…走っているのです」ピリピ3:13.14抜粋