なぜ教会の礼拝を?
牧会コラム その657
知立キリスト教会は、教会での礼拝を続ける為の努力を惜しみません。
まず、来会を控えていただく場合を明示します。
1.恐れが勝る方…感染恐怖、人目や評価への恐れ、後悔や自責への恐れが心を圧迫する場合。
2.迫害の恐れ…来会により、隣人からの攻撃や責めを受ける場合。
3.心や身体に不調がある場合です。
次に、礼拝感染リスクを買い物と比較します。アピタ店頭表示の混雑度…10-13時混雑・13-18時平常・18-20時閑散です。13日の平常時と15日の閑散時に、私から1m以内に接近した者とマスク非着用者(飛沫感染リスク大)を数えました。教会は、14名定員で起こり得る最大数を記します。()内がマスク非着用者です。
平時:接近118人(12人)閑散:78人(9人) vs 教会:40人(≧0)
接触感染リスクも、店頭では他人も触れたであろう商品に触れる機会があります。教会は、全員の検温と手指消毒、施設消毒により危険性が減少しました。単純には比較できませんが、礼拝で増す危険度は買い物0.5回程度。…日常生活での工夫範囲です。
最後に、教会での礼拝を勧める理由です。
1.神を畏れるから 神を真心から畏れ、神を最も頼りとする者を、神は祝福されます(詩篇86:2)。
2.必要だから 教会でのみ礼拝を献げられる方を尊重します。
3.不要不急でしょうか 隣人が、間違った理解をしないように配慮します。礼拝は、聖徒の人生そのものです。不要不急に該当するでしょうか。
4.訓練不足だから 知立教会は家庭礼拝の訓練が十分と言えず、礼拝者の備えから応答までを、ネット礼拝で満たす難しさを覚えます。
5.仕えるから 神様なしの隣人は、恐れと不安が支配します。私たちは、御前で共に整えられ、隣人に希望と安心を与える使命を果たします。
祈りの家で平安と愛を満たし、主のしもべとして遣わされます。
「あなたは私の神。私はあなたに信頼します。」詩篇86:2 抜粋