敵は私のうちに
牧会コラム
見えない敵に勝つことはできません。20歳頃に経験した奥尻島のレーダーサイト勤務は、日本海から近づくソ連の爆撃機や偵察機を早期に発見し通報する任務でした。交代勤務で24時間スコープを監視し、僅かな機影を逃さないように神経を張り詰めていました。通常は高度数千メートルを飛行するので捉えることができます。しかし、低高度を真直ぐに近付く戦闘機は、地球の丸さと海の乱反射で捉えるのが難しく、何度も冷や汗をかきました。
今は別の戦いにおいて、敵の姿を捉える困難があります。コロナ禍は、私たちが持つ傾向を表に出しました。全体の和を乱す者への極端な非難と排除が、初期の感染者と特定の職種に向けられました。私たちも、感染者の謝罪を当然視し、世界でも類を見ない特殊性を助長しました。感染者は、憐れみと治療を受けるべきで、非難されるような責任は誰にも負えません。考えればわかる事ですが、日本に根付く習慣的な思考に巻き込まれ、合わせてしまうのです。
キリスト教やクリスチャンに好意を持つ方は多くいらっしゃると思います。しかし日本は、周りに合わせて自分からは選ばない精神風土です。唯一の神様を信じ、人ではなく神様に対して誠実であろうとする生き方は、魅力的ではあっても選ぶのは難しそうです。見える敵ではなく、自分にも内在する思考の傾向性が、福音の進展を妨げているとするならば厄介です。どうしたら良いのか・・・・。
敵が私のうちにあるとしても、事実、私たちは日本文化にあってキリストの十字架の死と復活を信じ、新しい生き方に変えられました。私たちが、堂々とクリスチャン人生を生き抜き、楽しむならば神様ご自身が証を立てられます。今は隠されていても、大勢の方がクリスチャンとして共に歩み始めるはずです。家の教会は、神の国が進展し続ける主の証印です。期待して、待ち望みましょう。
「主が…語られたこの山地を、私に与えてください」ヨシュア14:12抜粋