コロナ禍における証

愛知県にも、新型コロナウイルス感染拡大に対する緊急事態宣言が発出されます。教会の感染対策と共に、平日の個人的生活においても、極力危険を回避します。信仰告白として献げる礼拝と、証しの場である牧場を守るように、能動的に心がけましょう。

牧者はじめ私たちは、コロナ感染の為に牧場の活動が制限され、見えない抑圧に対する苦痛を感じています。しかし、コロナ感染の終息を待つことなく、今できる形での食事と分ち合いを模索してきました。牧者が実状に合わせ工夫し、踏み出す姿に感動します。また、聖書の教会を証する家の教会の本質を見出すことができます。

聖書の教会は、聖徒が全存在・全生活をかけて優先したので、極めて強い迫害下においても滅びることなく、主イエス・キリストを証し続けることができました。日本における迫害は、真綿で首を絞めるように信仰の生命力を奪っていくと宣教師が告白します。コロナ禍においては、一層顕著に同調圧力が働き、自覚ある選択を妨げます。主が魂を救い、地上の生活を守られるのは、神の民としての「選び」を通して証しを立てるためです。聖徒が互いに愛し合い、魂の救いと弟子作りに仕える牧場と、週毎に献げる共同礼拝を通して生きて働かれる神を証しし、救いの恵みに応えるのです。

今回の事態においては、牧場の食事の可否を牧者判断に委ねることが、一つの象徴的な委任と言えます。理由が二つあります。

1.食事は神から受けた愛の証し:聖徒は、主の愛に対する期待と信頼の成熟を、自ら願います。愛のマグマの噴出を止めることはできません。食事に限定せず、噴出を楽しむことに関心を向けます。

2.牧者への委任は聖書の基準:牧師と執事会は、最も牧場を愛し牧場に仕える牧者の判断を尊重し支援します。相談は快諾します。

 礼拝と牧場が不要不急に該当しないばかりか、必然であり、愛の証しであり、祝福の源泉であると確認できた幸いを感謝します。

「こうして、神のことばはますます広まっていき…」使徒6:7抜粋