隣人に届く仕え方4

夫婦の会話で「僕は言ったつもりだけど・・・・」というフレーズが時折あります。どちらの責任でしょうか。客観的には、私の伝え方の問題です。主観的には、相手の聞き方の問題です…。

イエス様のたとえ話に、父から「ぶどう園に行って働いてくれ」と頼まれた兄弟が登場します。ふたりは各々返事と反対の行動をとりました(マタイ21:28-32)。例えの要点は「後からでも思い直し、主を信じなさい。」ですが、会話についても学ぶところがあります。

1.受け取り方 兄は、父の大切な願いだと理解し、はじめの断りを改めました。弟は、軽く答え、後から勝手にやめました。

2.同じ言葉 父は同じように頼みました。結果は異なりました。同じ結果を求めるならば、各々に合う語りかけが必要でした。

3.例えの意味 敵対する祭司長や長老たちにさえも、イエス様は例えをもって真意を伝え、変わる機会を惜しまず与えました。

主の遺志に応え、魂の救いと弟子作りに仕える私たちには、どんな適用が考えられるでしょうか。

① 同じ話をしても、受け取り方が違って当然と考えます。相手が違えば勿論ですが、同じ人でも状況により理解も変わります。

② どのように話をするか、事前の準備(心備えと言葉選び)に加え、相手の個性や状況などに配慮して、届く表現を考えます。

③ お話の場面では、話した内容がどのように聞き手に届いているか、目と耳を使って感じ取ります。必要に応じて尋ねます。

④ 届き方は、その時の言葉や表現と共に、隠された理由や背景も影響し、後日変わる可能性もあると考えます。

 語ることも大変ですが、届ける責任を果たせるように祈ります。

「神は、すべての人が救われて、真理を知るように…」Ⅰテモテ2:4抜粋