他人の心配を!

牧者カンファレンスのイ・スグァン師による全体講義から、種々の具体的ヒントをいただきました。また、イ師の牧者・牧師としての豊かな経験による日常の証には、感動と共感を覚えました。

共感を覚えた事の一つが、誰の心配をしますか?との問いです。普通は、自分自身と家族の生活や仕事、将来への不安や恐れを心配します。しかし、心が心配で一杯になる程、どうする事もできず、心配に揺り動かされながら時間だけが過ぎる現実を指摘します。

イ師は、牧者に「自分の事は神様にお任せし、他人の事を心配するように」勧めます。そして、断言します「他人の事を心配する方が楽です」と。詳しい説明はなされませんが、よくわかります。決して、他人事は無責任に気楽にできるという意味ではありません。

自分(と家族)に関する心配事は、経験と知識が有ったとしても、分析と判断・見通しに関して、冷静さに欠ける部分が生じるので、いつまでもまとわり付きます。頭で「ここまで」と判断しても、手離せないのです。一方で、他人に関する心配はどうでしょうか。一歩の距離が功を奏し、心と頭を十分に働かせて、分析と判断・見通しを立てることができます。勿論、すべてが良い結果ではありませんが、同じ心身のエネルギーと時間を他人に用いるならば、「楽」かつ「よりよい結果を得る」と言えるのではないでしょうか。

牧場家族とVIPに対する愛情なくして、できる話ではありませんが、牧者のみならず聖徒全員に対するチャレンジと受け取れます。自分の心配事を神様の最善にお任せし、神様からいただいた能力と時間を用いて、隣人の益に貢献できるならば、御名が崇められ、聖徒の証も立てられ、自分も幸せです。「他人の心配が楽!」です。

「神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださる」Ⅰペテ5:7抜粋