原則の祝される用い方

 日本家の教会ミニストリーにつながるのは、チェ・ヨンギ師が著した「信徒による教会形成 家の教会」を共有する教会と牧師・信徒です。知立教会の家の教会は、著作の内容を尊重しつつ、同じ志に立つミニストリーが経験的に積み上げ、共有してきた原則に、できるだけ立ち続けるように努力しています。
 私は、家の教会に限らず、原則に立つことがとても大切と考えています。堅苦しく聞こえるかも知れませんが、利点があります。どのような利点があるでしょうか。大きく三つあると思います。

1.手探り期間の導き 日常生活でも、初めての取り組みには不安が付きまとい、ついつい慎重になり過ぎて、願う結果を得られないことがあります。原則は、安心と導きの確かさを与えます。
2.復元が容易・明確 良い結果を願い、努力を積み重ねますが、知らず知らずに軌道を外してしまう事があります。外れたことに気付いた時、原則は戻る場所を明確に示し、復元を容易にします。
3.例外に対する責任 原則は、例外にも予め条件を付すので、例外の適用にも責任を持つことができます。むしろ、必要に応じて例外を活用する為に、平常は原則を大切にすると言えるでしょう。

 原則に似て非なる「普通」「信念」「情報」に頼る場合は、守ることが目的になります。園や巷で聞く「子を○時までに寝かせる」でも、原則を理解する方は、遅く寝かせても回復の術を心得ているので、必要に応じて例外を選択します。しかし「情報」に頼る方は、守ることに安心し、寝かせる以上の恵みを、自ら逃しているように感じます。これは一例ですが、必要に応じて例外を選べるおとなとして、原則を肯定的に活用し、真の責任を果たしたいと願います。

「あなたがたは自由を与えられるために召されたのです」ガラテヤ5:13抜粋