家の教会共同体

 先週、全志碩先生のお宅で開かれた東海牧師牧場で、興味深いお話を伺いました。東京基督教大学の福祉学の准教授から「牧場に福祉の本質が実現している。牧場の姿こそ、福祉を担う者のあるべき姿」と言われたそうです。准教授は、これからのキリスト教会における福祉のあり方は「主日だけでなく、平日に主の教えを生きる」ことと言われます。この教会は、既に子ども食堂で社会貢献していますが、更なる進展を願う中で准教授と出会いました。准教授の言葉の背後には、教会が地域に開かれた社会貢献をするならば素晴らしい証ですが、仕えるスタッフの日常にキリスト者としての成熟が必要です。しかし、成熟が難しいという現実があるようです。
 家の教会に実現している成熟とは、仕える思いと奉仕の一致、互いを尊重し助け合う関係、そして自己肯定感ではないでしょうか。この牧師は「社会貢献の進展を願うが、まず牧場の充実を願う」と断言します。活動中心ならば教会である必要はありません。成熟した聖徒によって生まれる愛の共同体こそ、本当の証だからです。
 知立キリスト教会に適用します。将来的な愛児園の存廃判断と、比較的多い医療福祉教育関係者が協力して献げる社会貢献の是非。いずれも、家の教会の更なる充実と祝福の上に主の導きがあると考えます。教会の業は、無条件で献身する核となる人材と、支え続ける人材が必要です。准教授の「平日に主の教えを生きる」家の教会が充実し、備えられた魂が救われ、主の弟子が一層増やされると共に、まだ見ぬ地が明らかにされます。聖書の教会は、制度によらず完全な愛の共同体を実現しました。私たちにも実現しますように!

「信者となった人々はみな一つになって、一切の物を共有し、財産や所有物を売っては、それぞれの必要に応じて、皆に分配していた」使徒2:44.45