主が呼んでおられる
イエス様は、ガリラヤ湖のほとりでペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネに「ついて来なさい」と招かれました。彼らが、網を捨てて踏み出した一歩の決心には驚かされます。それと共に、イエス様と旅を続けた3年間も容易ではなかったと想像させられます。なぜ、彼らは主に従い続けることができたのでしょうか。多様な人々との出会いがあり、思わぬ出来事や、歓迎だけではない扱いも受けました。イエス様の語られた珠玉の言葉や、愛を証しされた振る舞い、権威者たちへの毅然とした言動、続く十字架と復活昇天に至る日々は濃密でした。しかし、聖書記者は、緊迫感や悲壮感以上に、明るさや温もりを感じさせる恵みを記しているように感じます。弟子たちがイエス様に従い続けた理由を一言で表現するならば、「楽しかったから」ではないでしょうか。何が楽しかったのでしょうか。それは、イエス様と出会った人々が、事情も環境も異なるのに、みんなが幸せに向けて変えられるのを、間近で目撃したからです。罪の赦し、体と心と霊の癒し、生き方の変化、生きる意味の獲得、弟子の家族友人の癒しもありました。自分が直接恵みを受けなくても、隣人が幸せになる姿を目撃することが、他では経験できない楽しさを弟子たちに味わわせたのではないでしょうか。
現代も、VIPの救いを願う教会に楽しさが必要です。どんな楽しさでしょうか。弟子たちと同じようにイエス様の恵みの目撃者・体験者として、私たち自身が楽しむことです。そして、牧場では、イエス様のもとには不要な比較がなく、愛され、守られ、支えられ励まされて、祝福されることを証言します。それにより、招かれたVIPは安心感を得、時が満ちていのちの道に導かれるのです。
「さあ、立ちなさい。(主が)あなたを呼んでおられる」マルコ10:49抜粋