新年の期待
イエス様は、ガリラヤ湖のほとりでペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネに「ついて来なさい」と声をかけて招かれました。網を捨てて踏み出した一歩の決心と共に、イエス様と旅を続けた三年という期間にも驚かされます。なぜ、彼らは主に従い続けることができたのでしょうか。多様な人々との出会いがあり、思わぬ出来事や、歓迎だけではない扱いも受けました。イエス様の語られた珠玉の言葉や、愛を証しされた振る舞い、権威者への毅然とした言動、続く十字架と復活昇天に至る日々は濃密でした。聖書記者は、悲壮感や緊迫感以上に、明るさや温もりを感じさせる恵みを記しているように感じます。弟子たちがイエス様に従い続けた理由を一言で表現するならば、楽しかったからです。
教会の楽しさは永遠のテーマではないでしょうか。私自身が教会に繋がり続けたのは、楽しかったからだと率直に思います。知立での牧会においても、楽しさが増すように願うのですが、性格に限界があるようです。しかし、主が何かをされるという期待は持ち続けることができます。教会ならではのワクワク感こそ楽しさの本質だと思います。魂の救いと主の弟子作りに励むことと、家の教会であることは変わりませんが、主が何かをしてくださることへの期待を増したいと願います。私たちにできるのは、祈りと賛美とみことばの充実を図り続けることです!
「これは主が設けられた日。この日を楽しみ喜ぼう。」詩篇118:24抜粋