主日礼拝を生活リズムに調和させられると、クリスチャン生活が軌道に乗り、平日に教会・聖徒との接点を持つならばクリスチャンの生き方が生活化します。昔の話ですが、私は平日の過ごし方により教会に留まり続けました。主の日の礼拝を献げ、月火と働き水曜朝の早天祈祷会に出席、水木と働き木曜夜の祈祷会に遅刻して出席、金土と働き主の日にたどり着きました。主の日に聖徒の自覚を深め、祈祷会を止まり木にして回復し、次の主日に到達する意識でした。
知立教会の聖徒は、より聖書的な平日を過ごすように導かれています。ありのままを赦され愛された私たちは、御国にふさわしい成長を願います。主日礼拝で語られるみ言葉に応え、平日には魂の救いの祈りとVIPへの奉仕を献げ、道コースの繰り返し出席によりクリスチャンの生き方を深め、神体験の期待をもって御前にある生活を牧場で分かち合います。礼拝と牧場出席を通して、神と隣人を愛する生き方により家の教会の恵みを味うことができます。しかし、形が生き方にならなければ、霊的な消耗と肉体の疲れに陥ります。私たちは時間も力も限界があります。何を諦めて何に満足するのか、選択を問われています。精一杯なのに消耗を覚える方、何を諦めるか共に祈りましょう。国際ミニストリー代表のイ・スグァン師の言葉「牧場は、平日の牧会の実を味わう場所です」が印象的です。家の教会の深みを経験できるよう、少しずつ漕ぎ出しましょう!
「肉の思いは死ですが、御霊の思いはいのちと平安です」ローマ8:6