心配しないでよい
年間聖句は、呼んでおられるイエス様にお任せするならば、心配することはないと教えています。その通りです。神様は、みことばを掲げた私自身に対して「それを日常の出来事に適用していますか」と問い掛け続けてくださるのです。年初から、あれこれと心配なことに心が揺さぶれらていますが、そのたびごとに御前に立つようにと、信仰の姿勢を確かめさせていただいています。
私は性格的に対処に重きを置く傾向があります。ですから、神様にもどんな対処をすべきかを尋ねることが多くなります。時として、具体的な知恵をいただく場合もありますが、混とんとしたままどう対処して良いかわからず苦しむことも少なからずあります。みことばの「心配しなくて良い」は、弟子たちの経験や目撃した事実に基づいていますが、対処を主にお任せする点が最も重要です。対処の知恵を求めても悪いことではありませんが、私のあるべきふさわしい姿勢は、主の前に課題を差出し、対処をお任せし、主に信頼し安心して待ち望むことです。対処を執拗に望むなら、心を揺さぶられ、むなしい時を過ごしますが、対処をお任せするなら、目の前の人と課題に対して忠実であることができます。
「心配しないでよい」を、目前の課題に適用して得たのは、困った問題が、主の知恵が現れるであろう楽しみに変わったことです。今年も主の知恵と解決を楽しむ一年であるようにと願います。
「心配しないでよい。さあ、立ちなさい。」マルコ10:49抜粋