賛美の献げもの
私たちは、神の前にも人の前にも誠実であろうと努力します。しかし、自分の言動であっても、すべてのふるまいを自覚できているわけではありません。先日、妻のことばを通して、とても大切なことに気づかされました。それは、礼拝賛美についてです。
小学5年生のある日、音楽の時間に先生から声が通るので前に出て歌ってみなさいと言われました。しかし、歌い出しのタイミングが取れず、結局歌えず席に戻りました。10代後半、世にカラオケが登場しみんな楽しそうでしたが、私にはただ恐怖でした。この経験は今でも私を支配しているようです。特に朝礼拝では、私がリードを兼ねるので、「リズム音痴の私を助けてください」と礼拝者に懇願しました。すると、妻から適切な助言がありました。「あなたは、主に対して賛美を献げているのだから堂々と歌えば良い。会衆が音程やリズムよりも神様を意識して賛美できるように、見本を示さなければならない」との指摘でした。全く、その通りです。私は、歌うことに精一杯で、本来の意味とふさわしい姿勢を忘れていました。妻の言葉は、自分を見失っていた私に注がれた、神様の慈しみだと思います。礼拝では、心からの賛美を献げさせていただきます。
これまでも、神の家族を通して語られた助言によって、どれほど軌道修正をさせていただいたことでしょうか。執事会はじめ各ミーティングでも、兄弟姉妹の助言に助けられていますから感謝です!
「『これが道だ。これに歩め』と言うことばを…聞く」イザヤ30:21抜粋