親子祝福式(前献児式)

教会(きょうかい)(かよ)(はじ)めると用語(ようご)戸惑(とまど)います。(たが)いを兄弟(きょうだい)姉妹(しまい)()()習慣(しゅうかん)は、(おな)神様(かみさま)()ども同士(どうし)なので、意味(いみ)はわかりますが()れるまで時間(じかん)がかかりました。献児式(けんじしき)も、(かなら)ずしも印象(いんしょう)()いとは()えません。クリスチャンではない(かた)(まね)きたいと(ねが)うならば、どう(せつ)(めい)しようかと(なや)むこともあるのではないでしょうか。

 献児式(けんじしき)は、ヨセフとマリヤが幼子(おさなご)イエスを(みや)()(のぼ)った出来事(できごと)両親(りょうしん)幼子(おさなご)(しゅ)にささげるために、エルサレムへ()れて()った。」(ルカ2:22)にならうものです。また、ハンナが(なみだ)(いの)りを(とお)して(あた)えられたサムエルを神様(かみさま)御手(みて)(ゆだ)ね、祭司(さいし)エリに育成(いくせい)(たく)した()(めん)(おも)()かべます。この(のち)ハンナ自身(じしん)祝福(しゅくふく)されます。アブラハムがイサクの(いのち)(しゅ)(ゆだ)ねた結果(けっか)(のち)祝福(しゅくふく)()たことも(おも)()されます。献児式(けんじしき)は、幼子(おさなご)祝福(しゅくふく)神様(かみさま)にあることを告白(こくはく)し、感謝(かんしゃ)をもって育成(いくせい)責任(せきにん)()たす決心(けっしん)(あら)たにする()()えます。それは、確信(かくしん)期待(きたい)感謝(かんしゃ)(よろこ)びを(ともな)祝福(しゅくふく)です。日本(にほん)精神(せいしん)土壌(どじょう)では、(ささ)げるという言葉(ことば)意味(いみ)が「放棄(ほうき)」に(かたよ)り、神様(かみさま)(とも)責任(せきにん)(にな)ってくださり、親子(おやこ)(とも)祝福(しゅくふく)される肝心(かんじん)部分(ぶぶん)(わす)れられるようです。

 意味(いみ)内容(ないよう)(おな)じですが、今回(こんかい)から知立(ちりゅう)のローカルルールにおいて、献児式(けんじしき)を「親子(おやこ)祝福式(しゅくふくしき)」と呼称(こしょう)することにいたしました。

 慣例(かんれい)では()にすることではありませんが、(いえ)教会(きょうかい)として、(つね)(たましい)(すく)いに焦点(しょうてん)()て、(ちい)さな変革(へんかく)()(かさ)ねていきましょう! 「()どもたちを、わたしのところに()させなさい。」マルコ10:14