コロナ禍の宣教

牧会コラム    その682   …コロナ禍の宣教

例年、松原湖バイブルキャンプ場を会場に行われる教団の研修会が、コロナ過によりWebにて実施されました。YouTubeの動画配信が行われ、私もPCの前に座して講義や報告・説明を受けました。

コロナ禍における礼拝と宣教が講演の主な内容でした。地域やメンバー構成の違いにより試行錯誤が行われています。今後も、集まる礼拝と絶えざる宣教を原則として、状況に合った対応を続けることになりそうです。講演ににじみ出ていたのは、コロナ禍において教会の存在目的である宣教の困難とジレンマです。私たちは、魂の救いと主の弟子作りにより、教会の使命を果たしたく願います。

研修会では日本特有の「同調圧力」による「自粛」の異常さも触れられました。「自粛警察」「保障無き規制」「若者・夜の街の標的化」「感染者の謝罪と非情な攻撃」「生活様式の強要」「マスコミのあおり報道」など、同調圧力が息苦しさを蔓延させています。

研修会後に、『主よ。コロナ過において、家の教会をどのように用いられますか』と祈り、『コロナ過だからこそ、日本特有の「世間」による精神的支配を脱し、主にある尊厳ある生き方を証ししなければならない!』と確信しました。多数と同じであることに安住を求めたり、多数と違うことを恐れたりするならば、気付かないうちに同調圧力の加害者になります。対する牧場家族は、救いと祝福の約束を信じた者が、主に招かれて出会った神の家族です。主から受けた愛を隣人に献げ、受けた隣人は、別の隣人に献げます。仲間だから愛するのではなく、愛し仕えた結果、大切な存在になるのです。

家の教会は、キリスト者の生き方を牧場で証します。私たち自身に残る、世間を恐れ世間に安住する古い自分を点検し、神の愛に応え仕えます。Webによる会議や日常は、「世間」を壊す可能性もあります。コロナ過を与えられた機会と信じ、宣教に取り組みます。

「私は福音のためにあらゆることをしています」Ⅰコリント9:23抜粋