敗戦の日を覚え
今年も、8/6.9の原爆投下の日、8/15の敗戦の日を迎えました。既に75年を経ており、歴史の事実を伝承する事が難しくなっていると言われています。多くの犠牲と共に、加害者でもあった事実、時代遅れだった戦術や兵器が隠され、戦争美化が行われています。一方で、戦勝国を中心とした世界秩序のほころびが顕著になり、平和を維持する難しさが改めて問われています。
日本のキリスト教会は、戦前戦中の戦争加担の罪責を告白すると共に、戦いを回避し和解の道を探る立場を明確にしてきました。他方、平和社会を積極的に建て上げるビジョンの欠如から、右傾化(明治維新体制への疑似回帰)に反対しつつも、自らの政治的立場を表明することができず、政策決定に対する影響力を持てない状況に置かれています。将来的には、知立教会と愛児園から、積極的に平和社会建設に仕え貢献し、文化・政治・経済分野などで活躍する国際的な人材が輩出されることを願いつつ、希望を抱いています。
私自身は、20代に学んだ靖国問題の影響から、右傾化への警戒と反対の立場に立っています。現在も同じですが、家の教会の進展と共に、教会員とVIPが生きる現実社会に、一層深く向き合うことになりました。社会を作り上げるために労苦する、議員の立場にも理解を深める必要を感じています。日米安保と自衛隊の位置付け、税制と利益配分、年金や債務負担の世代間格差、教育制度と医療負担、雇用問題、国際貢献のあり方など、反対では片付かない問題に対して、視野を広げつつ学びを深める必要を覚えています。
昨今話題になった「黒い雨裁判」や、戦争で受けた傷病や心身障害が保障されなかった事から、現在も戦争の痛みが続いている事実を忘れないようにしたいと思います。戦後75年を覚え、平和の為に祈り続けると共に、平和を作る人材の育成を願います。
「平和をつくる者は幸いです…神の子どもと呼ばれるから…」マタイ5:9抜粋