天国標準の証人生
その685 …天国標準の証人生
現在開かれている国会で、菅首相は質問に対してまともに答えない場面が、少なからずあったようです。二つの問題点を感じます。一つは、首相が誠実に答えない姿に、国民が慣れてしまったのではないでしょうか。元々、私たちの国民性は、理由を確かめて判断するより、慣例や多数の意見に頼り、判断を避ける傾向があります。曖昧な答弁が問題にならなければ、行政の暴走を許します。国民は目先の損得ではなく、自ら正義を判断する務めがあります。もう一つは、政府が判断の理由を明らかにしないなら、国民に同調圧力や恐れを抱かせる事です。江戸時代の奉行は判例を公表しなかったそうです。奉行のさじ加減で刑罰が決まるなら、民衆は恐れから自制し、見せしめの刑罰が威力を発揮します。法治国家に反する政治姿勢に対して、国民自ら主権者として社会像を描く必要があります。
私たちは、天国に国籍がありますが、神様のご計画によって、現代のこの日本に生かされています。どんな証の務めが期待されているのでしょうか。大いにあると思います。
私たちは既に、多数からの圧力や、死の恐怖に支配されることのない、尊厳ある生き方に招き入れられました。いうまでもなく、キリストの十字架の死と復活により、神の裁きと死に対する完全な解決をいただいたことによります。一度限りの人生を、イエス様のように丁寧に生き、隣人に幸せを与える動機と実践の場が日常に与えられています。日本標準ではありませんが、魅力的な生き方です。
私たちは、微力で不完全であっても、教会と牧場を通して人間の本当の生き方モデルを証しており、多くの迷える人々の渇きに解決と潤いを与えることができます。私たちに特別な能力が無くとも、神様は真実なお方ですから、主に従い喜んで証の務めを果たそうとするならば、すばらしい御業を体験するに違いありません!
「しかし、私たちの国籍は天にあります。」ピリピ3:20抜粋