揺れる時代の証者
クリスマスが近付くと、黙示録3:20が思い出されます。寒空の下にあっても戸をたたき続けてくださるイエス様は、私が頑なな時も和解と平和の使者として、ノックを続けてくださるお方です。私には年中必要ですが、寒さが厳しくなると一層主の慈しみに感謝を覚えます。イエス様は、戸を開けると中に入り親しき交わりのうちに、恵みの食事を共にしてくださり、慰め励ましてくださいます。心身霊が元気になると、扉を開いて外に連れ出し、世界の広がりと希望の光を見させてくださいます。
イエス様との出会いは、人生で最も暗く生きる世界が小さくなった時に訪れました。気持ちは内向きで日々の暮らしに精一杯。関心事は目の前だけでした。当時の長良教会は裏通りにあり、床がギシギシ鳴る教会でしたが、通い始めると、他にはない世界の広がりと温もりを感じました。キリスト者として生きることは、小さな自分が偉大な神様に覚られ、壮大な歴史と世界に結び合わされて生きることです。日本の社会・文化・価値観に染まって生きる事もできますが、キリスト者として普遍的価値観に導かれて生きることの魅力から離れられなくなりました。主が捉えてくださったからです。
コロナ過は、物理的に世界との繋がりを妨げましたが、世界を治めるお方の前にある生き方には何ら影響を与えません。私たちは、神に信頼し、隣人を愛し尊重する動機から日常を積上げます。生き方を通して見本を示し、目の前の損得や人目を気にして窮屈になっている人々の視界を広げます。神は人を愛し、知恵をもって世界を治め、終わりの日に正義により世界を裁かれます。
全体でぶれ続ける日本。今こそ、唯一絶対の神を信じ、心は揺れても足元は揺れない生き方を証する時に違いありません。主にあって変わらない日常を、牧場で証しできる幸いを感謝します!
「ご自分の計画が変わらないことを…保証されました」ヘブル6:17抜粋