五輪を見ません
教会のある夫妻が、牧師はもうすぐ「オリンピックを見ない」と礼拝で言う、と話していたそうです。そのように聞かされると、なかなか言えないものです…。そこで、コラムの場で申し上げます。
私は個人的にオリンピックで盛り上がるのが好きです。1972年札幌の70mジャンプ金銀銅・同年ミュンヘンの男子バレーボール金・1976年モントリオールのコマネチ・1988年長野のジャンプ団体金・2000年シドニーのマラソン高橋尚子・2010/2014年の浅田真央他…
しかし、2011~2013年の招致において語られた「復興五輪」というコンセプトに強い違和感がありました。案の定、東京開催が決まると、東京での建築ラッシュが始まり、資材の高騰と建築関係従事者の不足が起こりました。災害復興は、従事者不足と予算不足から大幅に遅れました。また、原発処理を始めとしたブラック企業の暗躍を許しました。その後も、盛夏の東京開催・国立競技場設計変更・エンブレム盗作・招致裏金・有名選手のモラル・森前会長の発言・IOCの金権体質など、見えなかった課題が表出しました。
それでも、公費による開催行事ですから、市民として楽しめば良いと思っていました。しかし、今回は二つの理由で、個人的には楽しまない方が良いと判断しました。まず「利益の為のスポーツ興行(五輪)は必要か」という素朴な疑問です。そもそも、地域や時代を越えた普遍的価値としての市民の健康作りに、モデルと動機付けを与えることがスポーツと五輪の役割と理解します。しかし、競技の先鋭化が進み、もはや興行の領域です。政府・企業にイメージ作りの媒体として悪用される現実は「平和の祭典」ではありません。次に「コロナ禍での開催強行を認めてはならない」からです。利益追求が偶像化した時代だからこそ表面化した「医療の脆弱性と統治機能の破綻」。問題のすり替えと先送りで曖昧にしてはなりません。
真実の共有と分ち合いを、牧場で実践できる証しを感謝します。
「平和をつくる者は幸いです…神の子どもと呼ばれるからです」マタイ4:9