家の教会は地下教会
7月の牧者カンファレンスでお聞きしたカナダの牧者の証から、家の教会の原点を思い起こさせられました。その教会では、コロナ禍によって面直や食事を伴う牧場を中止していました。牧者は「目の前のVIPが導かれるためには集まる牧場開催がふさわしい」と判断し、教会に内緒で決行し魂が救われたのです。状況や文化の違いがあり、お勧めするわけではありませんが…「隙あらば、最高の牧場をやるぞ!」という意気込みが純粋で、眩しく映りました。
聖書の教会は「家の教会」でしたが、組織は整っていませんでした。ローマの迫害が強まり、地下教会的存在として生延びました。二十世紀に進展した中国の家の教会は、初めから地下教会でした。 私たちが見失ってはならないのは、家の教会は、組織による宣教方策ではないということです。義務でも、善行でもなく、救いの賜物に対する、生涯をかけて献げる応答の生き方です。自分の良いと思う応答ではなく、イエス様の遺言に従う、的を射た応答です(マタイ28:18-20)。教会組織の意志を超える、魂の救いと弟子作りに仕えざるを得ない霊的負債の表れです。地上に生きる人間ですから、パンの課題と家族は大切です。ですから、最も頼りになる主にお任せし、人生の自己課題(宿題)に取り組むのです。
愛知県に緊急事態宣言が再び発出されました。デルタ株の猛威が襲っています。そこで、教会として、礼拝の継続を最優先に、環境を整え、必要に応じて教会活動を調整します。しかし、牧場は牧者判断が最優先されます。牧者判断の責任を牧師が負うので、世に対しては「牧師に従った」と表明します。しかし、牧師は牧者が教会に従うより、神から与えられた救霊の使命に従うことを願います。VIPと牧場家族の為に、牧場を停止しても良いし、VIPと牧場家族の為になす面直牧場も退けません。私たちは各々に尊重し、協力する神の家族。いのちある霊的教会であり続けます。
「神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。」ルカ4:43抜粋