苦しみも共に

 今年の休暇は県内で過ごしました。私たちは、夫婦共に帰省できる家がありません。さりとて、牧師館に留まるなら休暇になりません。普段はあれこれ工夫して、知立を離れることにしています。

 ところで、いつも休暇の際に持つ一つの心配が、今年はありませんでした。十年前の震災時に、被災地を三度訪れましたが、越えられない壁を感じました。揺れも津波も経験していないので、お気持ちを察することができません。物資を届けても、お掛けする言葉に何度も詰まり、被災の経験談にも、上手くうなずけませんでした。この経験から「休暇中は、決して南海トラフ地震も、大きな事件も起きませんように。もし起きるなら、一緒に被災できるように」と願い祈るようになりました。今年の県内休暇は安心でした!?

 2014年12月の前立腺癌の手術は、私の判断は手術回避でした。しかし、教会関係の皆さんでしたら手術を受けられると思い、同じ立場に身を置く決心をしました。結果的にも良かったようです。

 今週9日に二回目を接種するコロナワクチンについて、二つの理由から、打たない方が良いと考えていました。家内が小学2年の時に、インフルエンザワクチン接種でアナフィラキシーを発症したからです。しかし、立場上、教会員家族、園児とご家族への責任から接種を選びました。副反応が軽くなるようにお祈りください。もう一つは、巨大製薬会社の経営姿勢に対する不信です。ロビー活動で新自由主義を謳歌する、利益至上主義集団という印象があります。ワクチン漬けの危険、安価な適切治療からの逸脱、将来にわたる責任放棄。しかし、例え数年後に薬事災害が起きたとしても、接種者と一緒に苦しみ、一緒に解決を求めた方が良いと判断しました。

 私の中に、少しずつ養われてきた「家の教会魂」を感謝します!ところで、教会内では、接種が当たり前の風潮にならないように、話題に気を付けたいと思います。各々の判断を尊重するためです。

「一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ」Ⅰコリント12:26抜粋