試練の時に

 ♪…愛する者を美しく(いろど)られ…小さき私の日々を守られる…♪

 昨年からのコロナ禍で、多かれ少なかれ、兄弟姉妹の生活は変化し、先の見えない閉塞感の中を歩んでいます。見聞きする兄弟姉妹の日常。その中で、主の民として懸命に生き、一歩前に進もうと葛藤している姿を見ています。この兄弟姉妹に、なんとか日常の平安と明日への希望、そして主の弟子としての喜びを感じてもらいたいと願い取り組んでいるのですが、続く困難が心を締め付けます。

 この日、賛美に住まわれるお方が、気付かせてくださいました。主が、兄弟姉妹をどれ程の想いをもって、日々の生活に臨んでくださり、満たし愛しておられるのかと。主は、特別でも何でもない私たちの小さき日々をご存知であり、守ってくださいます。さらに、愛する者として美しく彩ってくださる! 私たち一人ひとりに備えられた日々は、白黒でも画一的でもなく、一人ひとりの色があり、日毎の輝きがあるのです。色彩が引き立つためには、暗色や影が必要です。コロナ過も、主の用意された鮮やかな日々と未来を引き立たせるための、必要な影なのかとさえ思えたのです。

 兄弟姉妹への愛に感動すると共に、自分の渇きを後回しにして、いつの間にかひび割れていた魂の傷に、主が触れて下さったことにも気付かされました。試練を無くすることはできませんが、試練にあっても豊かに生かしてくださる主を覚えるなら、癒されます!

「野の草さえ、神はこのように装ってくださる」マタイ6:30抜粋