2022年度に向けて

 2022年度の年間聖句とテーマを、祈りつつ求めてきました。与えられたテーマは「新しい人を着る」、聖句はコロサイ3章10節です。解釈と適用は総会資料に託し、コラムでは背景を記します。

キリストご自身にある恵みに頼るべきですが、人の戒めと教えを強調する惑わしがありました。パウロは既に勝利されたキリストを見上げるように励まし、地にある私たちにも古い生き方から離れ、新しくされる恵みに生きるように促しました。惑わしについて、2:23に「…人間の好き勝手な礼拝、自己卑下、肉体の苦行…が、何の価値もなく、肉を満足させるだけです。」と記しています。

 二年続きのコロナ禍は、私たちに見える対処と我慢を常に強いてきました。対処の動機は感染予防ですが「これだけ我慢しているのだから」「人にどう見られ、評価されるのか」という疲れと恐れが迫り続け、真綿で首を絞められるように私たちの力を奪いました。

 ここに、二つの誘惑がありました。自己義認と関係の疎です。見える対処を常に求められるのですから、「あり方」よりも「する事」に関心を向けざるを得ません。する事に自分の正義を置くなら、知らず知らず主の恵みを退けることになります。自分の正義は、隣人との関係を疎外します。そもそも、神との関係は隣人との関係に表されます。流れ続ける清流のように、隣人に主の恵みを分け与えることを通して、私たちも新鮮な主の恵みに潤されるのです。

 しかし、暗さが増すほどに光が輝くように、疲れと恐れに悩む私たちを、主は慈しんで助け、以前にも増して深い関係に招いてくださいます。新しい人を着る恵みに期待して新年を歩み始めます。

「新しい人を着たのです。新しい人は、それを造られた方のかたちにしたがって新しくされ続け、真の知識に至ります。」コロサイ3:10