隣人に届く仕え方2

私たちは10年で、家の教会のかたちを作り、導入期の恵みを経験しました。次の段階を前に、証の本質を確認します。証には、確信が重要です。語る者の内なる確信が、言葉の内容は勿論、声や表情に表れ、聞く者の理解と共感を助け、決心に導くからです。

では、内なる確信とは何を指し、どう強められるのでしょうか。一例は、イエス様が目を留められたやもめの姿です。最小単位の貨幣ですが、持てるすべてのレプタ銅貨2枚を献げ、神の恵みの大きさを証ししました(マルコ12:42)。また、最初の教会では、主に罪赦された者の新しい生き方が、周囲の人々に対する力強い証となり、多くの人々が加えられました(使徒2:46.47)。

イエス様の救いと教会(牧場)の交わりが、語る者の人生にとってどれ程大きく、かけがえのないものであるかは、日常の優先順位を通して証しされます。私たちの日常の優先は、やもめ程ではなく、最初の教会程でもありませんが、それをご存知の上で、神様は私たちを選んでくださいました。つまり、大切そうに演じることではなく、本当に大切で最優先になる道のりを、主に期待して歩み続ける日々が証なのです。主にある救いと交わりは、信じて踏み出し、心と時間と犠牲を少しずつ払いながら確信を深め、積み上げていくものです。家の教会は継続した関係の中で、牧場家族の「大切」を目撃して価値を感じ、間違いのない人生であることを知り、神の導きと招きを信じ、決心していただく働きです。

真実に渇き、身の丈に合った祝福が必要な現代だからこそ、家の教会のあり方、真実な牧場家族の証が待ち望まれているのです。私たちが御国へ向かう途上は、魅力ある生き方です。…次回に続く。

「わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。」Ⅱコリント12:9抜粋