執事奨励の意味
知立教会の皆さんは、説教者がどなたであっても、みことばにある恵みを受け取ることができると思います。それは、三位一体の神様を礼拝するために集っているからです。神様が、集った者を祝福されないはずがありません。それならば「牧師不在の時こそ、特別な説教者にご奉仕いただいた方が良いのではないでしょうか」という疑問が湧きます。神学者の講解説教、巡回牧師の伝道説教、熟練牧師の十八番(オハコ)説教など魅力があります。知立教会では、どうして執事奨励なのでしょうか。理由は三つです。
1.家の教会スピリット
知立の信徒には、自覚無きすばらしさがあります。魂の救いに対する誠実な姿勢です。救霊に賛成しない福音派の信徒を見たことがありませんが、主に召された者の使命感が強く、純粋な信仰です。礼拝では、魂に仕え自ら主の弟子として育つことの具体的励ましが説教に求められます。熟練牧師であっても簡単ではありません。
2.家の教会には証がある
外部講師の説教と比較するわけではありません。執事奨励には生きた証があり、会衆が背景をある程度知っているので、共感が湧き励ましを受けます。良いお話も必要ですが、それ以上に必要な共感と励ましが、執事奨励に込められているのです。
3.執事の求め
執事奨励は、察していただけるように簡単ではありません。ですから、牧師からの押しつけでは意味がありません。実は、執事が肯定的意識をもって奉仕を受けてくださるので、実現しています。
本日の礼拝も、期待をもって執事奨励から恵みを受けましょう
「キリストの満ち満ちた身丈にまで達する…」エペソ4章13節