マスクを外す日
コロナ禍前から、手洗い・うがい・マスク着用は、風邪予防の3原則として生活化していました。一方で、日本人だけがマスクを着けている姿を、外国で揶揄(ヤユ)されることもありました。当時は笑い話でしたが、見過ごせなくなりました。コロナ禍が始まり間もなく3年。当初から言われた通り、マスク着用の弊害が現れ始めています。学校現場では、マスクで顔を隠すと安心で、顔を見せることが不安になり、マスクを外しても会話ができず、心を閉ざす関係が常態化しつつあるというのです。おとなも含めて、内にこもるなら、家庭など隠れた場所でストレスを発散させる他なく、人々の情緒を不安定にさせ、家庭と社会を荒廃させる恐れがあります。
愛児園では、心から向き合い、園児の自己活動を支えるモンテッソーリ―教育により踏み止まっていますが、弊害も見えています。そろそろ、園児の常時非着用を決めたいと願い、悩んでいます。
教会でも、顔を見せ合って交わる当たり前の関係を回復したいと願います。おとなが、直ちにマスクを外すことは難しいかもしれませんが「本当にダメか?」と問い続ける必要があります。着用こそ不自然であり、問わなければ何も決められないからです。私たちはコロナの弱毒化と致死率の低下を知らされています。できれば、進んでマスクを外して良い情報に接し、自ら安心感を養いましょう。
聖書は、神から隠れようとする人間の罪の本質を明らかにしています。感染予防は罪ではありませんが、早くマスクを外して、顔を見せて聖徒と交わり、支え合い愛し合い、VIPに仕えたいと、神様に願い続けることが大切ではないでしょうか。祈っておられると思いますが、マスク好き(依存)の日本人気質が少し心配です…。
「覆いを取り除かれた顔に…主の栄光を映しつつ」Ⅱコリント3:18抜粋