よみがえりの衝撃
イースターは、十字架にかかられ死んで墓に葬られた後に、よみがえられたイエス・キリストを世界中で喜び祝う日です。主のよみがえりにより、永遠の御国に結ばれていることを皆で喜び合うのです。
ここで、厳粛な一つの事実を思い出さなければなりません。死んで葬られたイエス様がよみがえると信じていたのは、イエス様ご自身を除いて誰もいなかったという事実です。弟子たちも、主を慕っていた女性たちも、どんな学者たちも信じていませんでした。イエス様が十字架刑で処せられた日から数えて三日目の朝は、どこにも希望など見えませんでした。女性たちは、せめて香油を塗り直したいと思っただけです。弟子たちは、主であるお方を失った悲しみと、先行きの不安と恐れに苛まれ、身を潜めていました。
誰も希望を持ち得なかった日曜日の朝が、どうして世界中で喜び祝われる朝となったのでしょうか。それは、人々の知恵と常識を、事実が超越したからです。イエス様が五百人以上の人々の前に現れたことも大きな証でした。それ以上に、預言を信じることも、イエス様のお言葉を信じることもできなかった愚かな人間には、死とよみがえりに対して、何の意図も工作も施しようがなく、ただ神の御業が行われたと信じる以外なかったのです。私も降参して祝宴に加わります。
「ここにはおられません。…よみがえられたのです。」マタイ28:6抜粋