私たちの教会は、以前より子どもと一緒の礼拝を願い実践してきました。しかし、多くの教会では、子ども理解の偏りと不都合から一緒の礼拝を避けてきました。讃美歌は歌えず、意味がわからない。説教は内容を受け取れるはずがないと理解し、子どもから生じる音が礼拝の妨げになると考えました。保護者を含め、社会的にも納得できたので、クリスチャンも疑問を持つことなく受け入れました。
知立教会が子どもと一緒の礼拝を献げ続けるのは、子どもにも賛美と祈りと説教が届くと信じ、生じる音も工夫と理解で乗り越えられると信じたからです。聖書では、幼子も一緒に誓い、悔い改めており、新約聖書の家の教会で子どもが別室にいたとは考えられません。多くの器官による一つからだの礼拝を尊重したいと願います。
私たちは課題に向かい続けます。① 霊的雰囲気:おとなが発する霊的雰囲気に子どもを迎えます。礼拝前から礼拝後まで継続します。② 礼拝参加:プログラム、選曲、祈り、説教の備えと、礼拝中の心配り(牧師、牧場家族、保護者)を継続します。③ 相互理解:会衆は、未来を作る子育て期の労苦と孤独を理解し、保護者は音の低減に務めます。④ 備え:家の教会が聖日と平日、教会と家庭を結びました。礼拝を意識した日常生活を、おとなが「見せて」教えます。30年を経ても未完成ですが、一緒の礼拝を私たちの信仰の証として献げます。
「ユダの人々はみな主の前に立っていた。彼らの幼子たち、
妻たち、子どもたちもともにいた。」 Ⅱ歴代誌 20章13節