暗闇に輝く光
去る12/20(日)、知立市文化会館のかきつばたホールにて、2月以来久し振りに、皆で一緒に礼拝を献げさせて頂きました。時間的な制約もありプログラムを簡素にしましたが、豊かな賛美と、燭火礼拝の要素を加え、閉幕後のオカリナ演奏も含めて楽しむことができたのではないでしょうか。家族や友人、愛児園保護者も来会くださり、一層喜びが増しました。幸いな礼拝を感謝いたします。
再び、かきつばたホールのような特別な会場で礼拝を献げることは難しいと思いますが、いつかクリスマス礼拝が実施されるならば願いが一つあります。燭火礼拝のプラグラムにおいて、客席も照明を落としていただき、LEDろうそくの光が客席全体に散りばめられる光景を、是非見てみたいと思います。
会場スタッフとの打合せでは、客席も含めて照明を落とすように「暗転」をお願いしました。本番では、舞台照明を完璧に対応してくださいましたが、客席は含まれていませんでした。私の常識「暗転とは当然客席のこと」が、細かな操作の打ち合わせを妨げたようです。伝達の難しさを覚えると共に、客席一杯にLEDろうそくが美しく輝く光景を想像すると、皆様に申し訳なく思いました。
礼拝準備を通して確認できた事もあります。説教の結論で表現した言葉です。私たちは「価値ある人になろうとするのではなく、価値ある人として生きる者、生きる見本を示す者」です。神様から既に与えられている恵みをもって人生を喜び、隣人に幸せを分け与えることができる者です。「他人のことなど構っていられない」との思いもわかりますが、自分の価値を見出せない根から生じる惑わしであり、認められたいとの焦りかも知れません。ヨハネは、イエス様の誕生を「光は闇の中に輝いている」と表しました。私たちの存在も、世にあって生きる希望を示す光であることを感謝します。
「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。」ヨハネ1:5