神の義を信じる
1517年10月31日、マルティン・ルターはビッテンベルク城教会の扉に「九十五か条の提題」を掲げ、免罪符販売に見られる聖書に立たない慣習について問いました。この問いが、1,000年以上にわたって不変であった教会をゆさぶり、当時の諸侯・諸国に大きな変化をもたらし、やがてプロテスタント教会を生み出します。
ルターは、将来を約束された法律を学ぶ学生でした。ある時、雷雨に打たれ献身を決意し、修道僧として修行するのですが、神に認められる善行どころかますます神との距離を感じ、滅びの恐れから絶望します。彼は、友人に勧められて聖書の学びに没頭し、1512年ビッテンベルク大学で聖書学の博士号を取得し、大学で教え始めます。この時の聖書研究が、彼の霊的な目を開かせました。罪人は、善行を積んで義人となるのではなく、罪人をそのまま認める神の義によって救われるのです。神を信じる信仰により、ルター自身が死への恐怖から救われ、恵み深い神に出会うことができました。
1519年教皇の上位性と議会の無びゅう性を否定し、1521年ローマから破門され、命の危険が迫ります。この時、ザクセンのフリードリヒ公により保護され、新約聖書のドイツ語翻訳に取り組みます。この後、民衆が自ら聖書を読む自由を与えられ、聖書に基づく教会が幾多の戦いを経て打ち立てられていきます。
私がプロテスタント教会を選んだわけではありませんが、新約聖書に119回も出てくる「福音」の恵みを受けることができたのは、宗教改革の戦いによるものだとわかります。善行によるのではなく救われたのですから、与えられた生涯を神に委ね、神の恵みによってイエス様のお姿に変えられる特権を味わいたいと願います。
「信じるすべての人に与えられる神の義です。」ローマ3:22抜粋