キリストバカ!?

先日、鉄道が好きになったきっかけの話になりました。理性では素っ気なく対応し、話を変えようとしました。しかし現実は、時刻表との出会い、1972年の中央西線電化と振り子電車381系、さらに片道最長切符の本について熱心に話していました。我に返り、非常な恥ずかしさが襲ってきました。一時的でも、自分が熱中した話題は、今の事のように話をしたくなるものです。

クリスチャンになりたての20代、「キリストバカ」になりたいと願いました。イエス様を知り、とてもありがたくて、かっこう良くて、新しい人生に希望の光がさして、イエス様がいてくれればすべてがOKなような、楽観的な人生観に満たされたからだと思います。イエス様の話をするチャンスには、熱心に(相手の心証に構わず)証をしました。やがて、見える社会に惑わされ、最初の姿から離れていきました。

実は、家の教会に出会った時も、年齢は違いますが、家の教会として歩み続ければ、すべてがOKのような楽観的な教会観に満たされました。家の教会バカで良いと思いました。しかし、現実問題の枝葉が多くなり、聖書の教会の姿をさえぎるようになりました。家の教会月間は、私に単純で幸せな「家の教会」の理解を取り戻させてくれました。改めて宣言させていただきます。私は「キリストバカ」なクリスチャンで、「家の教会バカ」の牧師です。

イエス様を愛して、家の教会(聖書の教会)の姿を追い求めれば、おのずと神様の用意された道のりを歩むことができる。そうすれば少しずつ主の姿に変えられ、隣人に恵みをもたらし、豊かな聖徒の交わりに生かされ、結果的に主の宣教命令に従うことになります。

「主のみこころが何であるかを悟りなさい。」エペソ5:17抜粋