人と人との境界線(バウンダリー)を適切に理解し適用することが、日本人は得意ではないと言われているようです。むしろ、曖昧にすることをもって当面の都合をつける傾向が強いようです。
先日の愛児園保護者では、具体的場面での境界線の意識付けを分かち合いました。教会でも意識されていますが、「ごめんなさい」「ありがとう」「お願いします」を、適切に用いることができれば人間関係が随分楽になります。しかし、練習の機会が少ない上に相手の責任から求め始める精神的未自立が、適用を難しくさせています。
入り口に立ってみましょう。自分の責任(義務)と権利、隣人の責任と権利には境界線があります。隣人の権利の範囲を私が犯すならば「ごめんなさい」と謝罪が必要です。私の責任の範囲を隣人が私に代わって果たしたならば、私は隣人に「ありがとう」と感謝します。私の責任の範囲を隣人に負ってもらうならば「お願いします」と依頼します。範囲を曖昧にするならば、謝罪も感謝も依頼もしないで済みますが、隣人は不愉快でありハラスメントの恐れがあります。特に夫婦や家族間で境界線が曖昧ならば、やがてひずみが表面化します。境界線の適用は自分の実践から始めます。隣人に左右されてはなりません。それが精神的自立による境界線の獲得だからです。牧場の
祝福に繋がる「共感」は相手と聖霊様の境界線を守る適用ですね。互いの境界線を尊重する関係作りは、問題解決の証です。感謝!
「香油も香も心を喜ばせる。友の慰めは自分の考えにまさる」箴言 27:9